表現の場としての握手会。


 テレビやゲームやネットは、現実逃避になってないんだよね。


 半年ぐらい前から握手会行くようになって、今は丁度倦怠期。というか飽きかけている。刺激が薄くなったというか、自己満足で終わってしまうのが怖い。
 それは、一度に複数回行く事に慣れてしまって、一回の重みが減ってしまったからかもしれない。慣れたからあんまり緊張しなくなったからかも。と、要因はいろいろ考える。いざその日の朝になれば「何を話そうか」と楽しみではあるのですが、なんでお金払って早起きしているんだろう、という疑問を満足に埋め合わせるだけの達成感が得られていないのです。イベントが付属しているものならともかく、握手会単独となると…よりいっそう「業務的握手」になっている気がして。認知してもらったり、連番したりしていろいろ楽しみ方はあると思う。しかし、そのどれも先人達が見いだしクリアしていった「段階」に過ぎない。自然と同じ道を歩ませようとする風潮やシステムに希望を見いだせず、そこに「クリエイティブな何か」を求められるポイントを発見できない。
 これを解決するには、もっと対象を良く知り愛す必要があるのかもしれない。まだ誰も踏み込んでない(と思われる)領域を規約を犯す事なく楽しむには…結局はトーク磨くことに落ち着くのかも。そうすると今度は想定問答集の答え合わせをしに幕張メッセまで行くのか、と言われてしまうので、まったく答えの予想がつかないけれど漠然としていない質問を投げかけるのが理想か。対象を褒めたり好きを伝えるのも大切な事だけど、それだけだと思考停止だと思う。


 アイドルは表現者としての場として握手会がある。それって強みだと思うんですよね。こちらが「有名人と握手する」という気を消して、一人の表現者と対峙する心づもりで向かえば、もっと好きになれる要素を見いだせると思う。アイドルというとついつい素を知りたくなっちゃうけれど、プロとしての対象を好きなままでいたいな。