急降下して耳が痛い。


 いったんどん底まで落ちてみるのもいいかもね。


 Twitterでは”鬱ツイートはしないよ”っていう人が結構多い。もちろんその考え方を否定する事もないし、逆もしかりだと思ってる。それでリムーブされても、それはそれまでの縁だったという事で。
 でも、何が違うんだろう。一言で言えば、それはネットに対する姿勢、生活の中のTwitterと言う位置づけで決まってくると思う。私といえばどちからというとどんなことでも(犯罪や迷惑がかからなければ)ツイートしても良いと思っている人なので、たまに落ち込んだ事も言っていると思う。なぜかと言えば、それで何が解決するって訳じゃないんだけどなぜだか少し気持ちが軽くなったりするから。立場が逆の場合もそんな意識で接していると思う。ということは、Twitterの"IDの人"ではなく、中の人を見ているんだと。これは、いつか辛くなるときが来そう。いままでこんな事を考えながら過ごして来た。


 そして遂に、それが現実になろうとしてる。いろんなまとまりがリンクしていて、どれも切れない状態。大幅削減を強いられているなかで、自分はどれを残さなくちゃいけないかを真剣に考える時期に来ているらしい。いままでずっと避けてきて、現実逃避に走ってきたんですが、残念ながら。
 無駄なパワーはなるべく使わない性格が一年でこんなになってしまって。周りからも心配される始末で情けないですね。問題が大きいときは、ゆっくり溶かしてみましょう。少しずつ苦みを味わってみる。あめ玉を最初から噛み砕かないのと同じですね。