かわいいのは知ってる。


 ちょっと最近変かもしれない。と思い始めると、とことんなりきってやろうって思ってしまうのが悪い癖。


 「絶対にかわいいと言ってはいけないゲーム」*ただしPerfumeを除く
 っていうのをいま開催している。一人で。誰とも話さずに。ツイートはした。なんてくだらない!と思っていただいて結構。その通りだから。だがやってみると難しいものだ。世の中に”かわいい”は溢れていて、私たちを惑わそうとしている。時にその基準さえ変えさせてまでも、”かわいい”が正義になっている。もう一度考えてみないか。「本当にそれは可愛いか?」と。
 つまり、あまりに”かわいい”を使いすぎるとその価値も薄まってしまうし、その判断基準も曖昧になってしまうことが嫌なのです。でも確かに該当するものは多いんだ。でも安易にそれを使って褒めたら、ほかの大多数と同じになっちゃうじゃない。そんなの嫌。自分の基準で褒めているんだよ、と言いたい。それは自己満足かもしれない。だけどとっておきにしたいんだ。本当にその言葉じゃないと表せない時に使いたい。そうやって、私はどんどん変人になって行くんですかね。
 かわいいを体験できるいまの精神状態および環境に感謝したい。死に直面していたらそんなこと考えている暇はない。自殺する人だってホームで、あの人かわいいな、と思いながら死ぬこともないだろう。それだけ余裕もある。それに、2次元3次元含め対象が存在する、もしくはそのように価値観が形作られていることに感謝したい。気づけない悲しみ、何もない悲しみは人の生きる幅を削る。


 誰にもわからない話。それでいい。いまひねくれてますよ、ということがメモとして残れば。ちゅうぶらりんの年の、眠りながら打った夢。