メロンパンをノックしてみて。


 3:13にあ〜ちゃんは映ってないよ。


 無形物にお金を使っていると、空しくなり、有形物が正義だと勘違いしてしまう。お金を使わない事が正しい訳でもなく、良い使い道を見いだすのは難しい。そこに「自分の統治下にある」という意識がどれだけ介在できるかがポイントである。例えばCMから購入に至る。満足すれば自身の情報収集能力を褒める事になり、いらない製品だったら衝動買いを悔やむ。一見配下に置いているよう。どちらを選んでも広告というスタートがなければ始まらなかった。
 長く使える物に投資するのは減価償却という点で後悔しにくい安全策。リスクを見定め維持管理できそうなものだけにお金を使う。
 思い出への投資は辛い。未知数の出会いに人はいつも普通以上の資金を投じてきた。失敗の傷が大きくとも、また新たなフロアへ。取り込まれる事さえ気持ち良い、宗教のような空間だってお金を支払う。つながりを求めるための道具。つながるための権利。


 結局のところ、寂しがり屋だ、人間は。